「目の見えない白鳥さん、アートを見に行く」

「目の見えない白鳥さん、アートを見に行く」
 鴨江で秋口からずっと宣伝されていた「目の見えない白鳥さん・・」のドキュメンタリー映画を観て来た(木下恵介記念館)。白鳥建二さんは生まれつきの弱視で小さい頃は少しは見えていたようだが、いつしか光だけとなり、20代に全盲となった方である。その方がアートを鑑賞したくてあちこちの美術館に出かけて行き、もろもろ体験をするという映画である。昨年ヴァンジ庭園美術館で彫刻に触れることで鑑賞体験をするというドキュメンタリーがあったが、さしずめそれの日本版だろう。最初は白鳥さん一人で始めたようだが、のちに友人でアートエデュケーターの佐藤麻衣子さん、ノンフィクション作家の川内有緒さんと3人で鑑賞に出かけるようになった。佐藤さんと川内さんの二人が、目の前の絵画がどんなものかを言葉で説明し、それをイメージしながら白鳥さんが聞く、という形だ。話す方も聞く方もとても楽しそう。友人のホシノマサハル氏は彼は美術作品よりも人と話したり人の話を聞いたりするのが好きなんだとコメントされていた。確かに。川内さんは同名の本を書いていて、それが映画化のきっかけになっている(監督はこの川内さんと三好大輔という方の共同である)。映画は章が進むにつれて、作品体験をし(「夢の家」の滞在)、自分が「作品自体」になる(猪苗代にある「はじまりの美術館」の展示室に滞在する)、そんな構成となっていた。合間にごく普通の日常生活(料理したり、散歩したり)が挟まれ、人となりはもちろん、考え方もとてもよく伝わって来た。
 最後のインタビューで語っていた言葉が印象的だった。鑑賞を通して人と話し、コミュニケ―トをする、それを続ける、そうしていくうちに、見えている人同士でも違うものを見ていてその違いがわかりにくい、見えてない人同士でも同じとわかってくる。さらに言えば見えてる人と見えてない人の間も同じで、わかってるものとわかってないものがそれぞれにあるのである。つまり両者はフラットな状況なのである。そういうふうに感じていたいというのである。映画の作り方がユニーク、脚本のト書きみたいな感じのナレーション。現在形の文末。「暗転」の語を使ったり。何か劇っぽくておもしろかった。「白鳥さん」のイベント、本人が見えての交流やトークなんかもあるそうだが、忙しくてそちらには行けず.。まことに残念。


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